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人は誰とでも仲良くなるべきだと教えられる。しかし、友達が多いことで得をするのは、学校の中だけの話しだ。社会に出てからは信頼できる友人が何人かいれば良いだけだと僕は思う。

SNS登場以降、ネット繋がりで友人に発展するケースも出てきた。今は人間関係の整理の仕方に悩む人の方が多いと僕は感じる。今回はそのことについて、語ってみたいと思う。





人間関係を整理して、フットワークを軽く出来る人の方が得を時代

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学生時代は友達が多ければ多いほど、その人の価値が決まるといっても過言ではない。スクールカーストに代表されるように、そのコミュニティのピラミッドの中で、頂点にいるか否かで人は判断される。

しかし、これは工業労働時代の名残である。一定レベルの能力を持った、従順な労働力が大量に必要だったから、義務教育があり軍隊から引き継いだ厳しい上下関係があったのだ。

学校でも社会に出ても、『そのコミュニティに上手く適合できること』が教育の目的だった。一つの会社に定年まで所属する。

人が定年までその会社に定着するには、そのコミュニティへの高い適応力が必要だ。日本社会はそのライフスタイルに合わせて、人を教育してきたのだ。

ただ、日本の成長が鈍化し、インターネットが登場してからは事情が変わった。終身雇用制度は半壊し、会社を転々とするのが当たり前になった。

平均的に高い能力を持つ人よりも、専門性の高い能力を持つ人が評価をされるようになった。求人サイトを見ると今、待遇が良いのは、コンピューターエンジニアである。週3回勤務の正社員や在宅ワークなど働き方は多用である。

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これからの経済状況を考えると、正社員雇用の維持は難しくなるので、ますます人は会社を転々としコミュニティの移動を重ねるようになるだろう。また今でこそSNSがあるようにネット経由での人々のマッチングも加速する。

ネット経由の友人は学校みたいに、そのコミュニティに合わせる必要がない。共通した趣味を持つ気の合う仲間と繋がれる。合わなくなれば、また別の人と繋がれば良い。オタク界隈でこの動きは顕著だが、ますます知らない人と繋がることの、ハードルは下がると思う。

面白いことに、仕事でもプライベートでも個の時代であると言える。仕事では自分の専門性をどこまでも磨き、より待遇の良い職場を転々とする。プライベートでもより気の合う仲間を探して転々とする。今は昔と違い。個人のフットワークの軽さが、モノを言う時代だと思う。

・工場労働。右肩上がりの経済をモデルに、社会システムが設計されていた。

・インターネット時代に合わせたライフスタイルを、自ら構築する必要がある。その方が得である。



人間関理の整理のしやすい環境。逆に怖い側面も

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インターネットの怖い側面は、自分にとって都合の良い世界を作れることである。例えば、今その気になれば、会社でも学校でも友人を作らずに、SNSの特定のコミュニティのだけで友人を作ることができる。

SNSの彼らは、あなたを肯定しかしない。どこまでも褒められる。褒められるから居心地が良くて、ますますそのコミュニティにのめり込む。

しかし、人間関係で一番良いパターンは、お互いを高めあえる関係だ。励まし合い、切磋琢磨する。建設的な関係。インターネットは自分に合った人間関係を構築できるが、その反面、あまりにも自分に都合の良すぎる世界を作れてしまうのだ。

あなたがネガティブで愚痴ばかり言ってる人間なら、SNSの住人は、それを咎めたりはしないだろう。あなたと同類であり、全面的にあなたの味方だからだ。自分にとって都合の良い世界は、知らない内に自分を泥沼に引きずり込む危険性が極めて高い。

リアルでもネットでも同じことだが、自分を負の側面に向かわせる人間関係は整理すべきだ。人間関係の整理は、冷徹なイメージがつきものだが、泥沼にハマって這い上がれなくなるくらいなら、孤独を選ぶのも悪くはない。

・今は人間関係を整理して最適化して、フットワークを軽く出来た方が得。

・逆にイエスマンや同類ばかりで周りを固めて、自分にとって都合の良い世界を作れる。

・なんで停滞してるのか?なんでダメなのか?教えてくれる人が誰もいないから、自分の成長が長期的に停滞する可能性がある。




人間関係を整理し、適度な孤独を作ることこそが、あなたを成長させる

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そもそも孤独は悪いことではない。孤独な時間が無ければ、勉強をしたりトレーニングをしたり、自分を向上させることはできない。人の成長とは孤独の中から生まれる。作家でもエンジニアでもYoutuberでも。今、成功してる人は何かしら特殊能力がある。



それは彼らが人生のどこかで孤独になり、己の技を磨いてきた確たる証拠だ。孤独は人を特殊な人間にする。逆に何の特殊技能も無く、ありきたりな事しか話せない人は、孤独な時間の足りない人とも言える。

自分をマイナスにする人間からは、距離を置くこと。自分を成長させてくれる仲間とつるむこと。そして、孤独な時間を上手く確保して、自分をアップグレードすること。これが現代の理想的なライフプランだと僕は思う。

・孤独になり己の技をひたすら磨けらる人だけが、勝つのが現代社会。

・群れてばかりで、孤独の時間の足りない人は、それなりの人生しか歩めない。

・自分にどこまでも都合よく、群れやすい時代だからこそ、人間関係を上手く整理して、孤独の時間を確保すべき。




人間関係をばっさり整理してきた、僕の体験談

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僕は今まで結構な数、人間関係を整理してきてる。例えば去年だと、それまで辞めていたFacebookを再開した時のことだ。

僕はスマホをなくしたので、一時的にFacebookの方に連絡が行くように友人達に連絡をした。その時に以前、一緒にコンテンツを作ってた仲間が連絡をしてきたのだ。

どうやら彼は、自分の夢に向かいながらも、泣かず飛ばずの状況だったようだ。彼のFacebookには自分の試みが上手くいかないことへの辛さや、社会への不平不満で埋め尽くされていた。

実名顔出しで政治的な話やプライベートな話を、SNSに赤裸々に書くのは完全なタブーだ。ビジネス上好かれない。自分の病気の話などは、相手に気を使わせる。

政治の話は地雷だ。まともな人は、そんなことを書いている人物に、仕事を頼もうとは思わない。ハッキリ言って、彼のFacebookはまともなクリエイターのモノではなかった。

ただ、チャレンジをして失敗をするのは、当たり前の話だ。僕の記憶では、彼もそれなりにまっとうな人物だったので、少し時間が経てば直ると思い、僕は彼とそのまま接することにした。

僕はせっかくFacebookを再開したので、とりあえずニュースのキュレーションをすることにした。ビジネス関係で繋がっていた人が多かったので、それなりに需要はあると思ったからだ。





ニュースのキュレーションをはじめて、しばらくした頃。僕は某プロブロガーを話題に取り上げた。僕の世代ではそれなりに成功した有名人であり、成功の仕方が炎上商法なので素直には応援できない、良くも悪くも問題の人物だ。

僕のFacebookには、僕よりもずっと若い、駆け出しのクリエイターや起業家も繋がっていた。なので僕は注意喚起のつもりで、某プロブロガーの話題を扱った。

調べればスグに分かる話なのだが、情報の少ない初期の頃は、某プロブロガーのような偽者に感化されて、時間を無駄にしてしまうのは良くある話だからだ。

僕が某プロブロガーへの批判と、本質的なクリエイティブに対する意見をFacebookに投稿したら、問題の彼が絡んできた。どうやら彼にとっての某プロブロガーとは、社会の悪を叩き切る戦士なのだそうだ。炎上商法を使うのに。




どうやら彼は、某プロブロガーの信者だったようだが、その時は単なる意見の相違で終わった。だが、問題はここからで、彼は僕の投稿にいちいちコメントをして、反応をしてくるようになってしまった。

それもただ反応するのではなく、『日本の生産性が悪さ』や、自分の仕事が上手くいかない事など、僕個人ではどうにもできないことを話題にあげて、絡んでくるようになってしまった。

まるでネットストーカーのかまってちゃんのように。

そして、とうとう彼は自分を応援してくれない人への批判を展開し始めた。「Facebookは空気が重い」だのなんだのと言って。まるで自分がうまくいってないのは、『応援してくれない人のせい』だと言わんばかりの態度だった。実際に僕と彼が繋がる共通の友人達を、批判する言説も見受けられた。

全ての元凶は、見通しの立たない夢を追いかけ、勝手に失敗し勝手に精神病になっている彼自身なのにも関わらずだ。

それがきっかけとなり、僕は彼の作品や彼のWebコンテンツをくまなく調べてみることにした。彼の現状をよく理解するために。結果として分かったことは、彼の専門としてる作品も一流とは言えず、その他のWebコンテンツに関してはも完全に低レベルだった。

彼の専門分野に関しては置いとくにしても、Webコンテンツに関しては酷すぎ。大学生でも、もっとまともな戦略を立てて、コンテンツを作れるくらいだった。

30歳手前で自分の専門分野でポジションを確立しておらず、某プロブロガーの信者となり、無意味で低レベルなコンテンツを大量生産。さらにはSNS上でのメンヘラ営業。メンヘラ芸人……。


・ラッパーを2ヵ月で辞めた宮森はやと氏が家入さんに対談を申し込むも既読スルーされる


まるで一時期ネット界を騒がせた、宮森はやと氏の超下位互換。これは誰がどう見ても完全にアウトだ。奇跡でも起きない限り、彼が今のままの状態から成功することは皆無だ。僕は彼に今やっていることは、「まったく実を結ばないから」と、やんわりと撤退を進言することにした。

そしたら彼は気が狂ったように、FacebookやLINEのタイムラインに、メンヘラ投稿をしだしたのだ。「俺は頑張ってるんだ!」「こんな可愛そうな俺を理解してくれ!!」などなど。目も当てられない投稿が連投された……。

残念ながらこうなってしまうと、関わらないほうがベターだ。僕は彼とのFacebookのフレンドも解消してLINEもブロックした。

彼はビジネスマンとしてクリエイターとして、あるまじき行為をした。自分の実力で語らないといけないところを、他人や世界のせいにしたのだ。自分で『夢を追いかける』といった選択をしているのにも関わらずだ。

例えば腐ったおにぎりを売る店があったとする。当然、客は来ない。でも、その店の店主は『努力はしてるんだよ』と怒り狂う。これとまったく同じことだ。努力はみんながしてるし、努力をしているからと言って、誰もが優遇されて報われるわけではない。問題は彼の能力不足であり努力不足。完全な自己責任なのだ。

彼とは酒を酌み交わしながら、熱いトークをしたこともある。思い入れが無いかと言われれば嘘になる。だが、彼の熱い魂を知っている分、僕は彼に失望した。

彼はまっとうな作品を作って認められるよりも、クリエイターとしての肩書きを手にして、偉ぶりたかっただけのように感じた。彼はプライドよりも本質的な部分で勝負をする人間のように思っていたが違ったようだ。

僕には彼と寄り添い、長い時間をかけて回復していく方法論もあったと思う。だが、ビジネスの世界はそれほど甘くはない。自分の足で立ち、実力で語ろうとできない人間は、簡単に淘汰される。

実力で語る事を放棄した人間は、どの世界でも長生きしないし、究極的には言葉をかけて分からなければ、もうそれまでだ。自分まで泥沼に足を取られる。友人でも恋人でも離れた方が、お互いにとって良い場合は腐るほどある。ビジネス関係では特に、馴れ合いは禁物なのだ。

・世の中にはどんなに注意喚起をしても、知識不足や能力不足のせいで、詐欺師に騙されてしまう人がいる。

・新興宗教の信者のように、たとえそれが無意味で不利益しか無いことでも、騙され続けていた方が幸せな人もいる。

・他人を救うのは時間も手間もかかるので、まずは自分を救うことに集中する。自分すら救えないのに、他人を救おうと思うと、自分をダウンサイジングしてしまうことになりかねない。

・究極的に自分を救えるのは自分しかいない。いつか他人を救っても傾かない自分になるために、『今は人間関係を整理して、強固な自分を作る』という考え方はけして悪いことではない。




まとめ

人間関係を整理するのは簡単なことではない。時には恨まれることもある。自分の成長を優先するあまり、仲間とワイワイできなくて、寂しい気持ちになることもあるだろう。

しかし、自分をダウンサイジングしてまで、人に合わせる必要はない。人間関係なら、自分が上り詰めた先のステージで、また新しく作れば良い。そうやって自分を鍛えながら、流れるように生きることが、本当の人間関係の作り方のように僕は思う。 以上、『人間関係を整理するのは、悪いことじゃない!』というお話でした。





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